この祭りの前身が、シドニー日本クラブ主催の「盆踊り大会」だったのを知る人は、今はもうほとんどいないでしょう…。日豪交流年が終わった後も、“シドニーで日本の祭りを!”との思いで、シドニー日本クラブが主体となって日本政府関係機関に働きかけ、実行委員会を組織して、今日の祭りを開催してきました。
この間の経緯や苦労話、祭りへの想いなどを、当時から祭りの運営に尽力してきたシドニー日本クラブのチョーカー和子前会長と、水越有史郎会長にお話を伺ってきました!
聞き手:Yuko Yamamoto, Miho Tojiki
(いま1/2記事を読んでいます。)
はじめた当時は屋台なども2軒くらいしかなかった
祭りを始めたきっかけは?
水越: 2006年は、日豪友好基本条約締結30周年の記念の年で、日豪交流年として年間を通してオーストラリア全域で日本関係の様々な展示会やイベントが企画されました。そこでシドニーの日系コミュニティも総力をあげて日本の祭りを盛り上げようとダーリングハーバーではじめたのがこの年でした。
チョーカー: シドニーだけでなくキャンベラやメルボルンやあちこちでやっていましたね。
水越:30周年記念のイベントの一環のオープニングイベントとして2月に日本の祭りを、商工会議所や日本人会、総領事館、政府関係機関で企画し、記念のイベントとして開催したのがきっかけだった。当時観光大使だった木村佳乃さんが日本からこられました。
祭りをはじめた当時、苦労したお話・印象に残っていることは?
水越:記念の年(日豪交流年)も終わって翌年以降は予算がつかなくて、自分達だけでやるということができなかったけれど、かといってせっかくやったのだからやり続けたいなという意識はあり、小規模ですが翌年の2007年から、2008年、2009年と続けることができました。
はじめた当時は屋台なども2軒くらいしかなかったのが、次第に屋台やブースも増え、一年ごとに大きくなっていったんですが、2008年、2009年、2010年と3年連続雨が続いて、最後の年は朝から土砂ぶりの雨でした(笑)。翌年の2011年は、雨が続いたのもあり、毎年2月に開催していたのを10月に変更して開催したところ、天気に恵まれました。祭りも10年かけてだんだんと定着してきました。
チョーカー: 祭りを期待している人たちは日系の人たちだけじゃなく、オーストラリアの人たちでも「もうそろそろ祭りじゃない?」という人たちもいるから、それだけ認知度がほんのちょっぴりずつ上がってきてるのかもしれません。
こういう風にやったほうがいいよねとか、日本人だったらこういう風に感じるとか、あなたたちの考え方、あなた達が感じたことが凄く大切だと思う
今後、「祭り」に新しい風を吹き込むには何が必要だとおもいますか?
チョーカー: 勿論、日系人3万人全員に認知されたら、こんなにいいことはないけど、プラスαオーストラリアの人たちにも知らせてほしいから、どんな形で、どの世代、どのような人たちにリーチするかということを考えてほしいですね。いつも相手を考えながら、自分たちがどうするのかを考えなければいけないんじゃないかと思います。祭りもサービス業、相手があってのことですから。
そして、次世代の人たちが祭りを見に来るお客様ではなく、祭りを一緒に盛り上げる参加者として、自分たちも頑張らなきゃと意識を変えられるようなメッセージを発信してほしいですね。今後ダーリングハーバーは毎週違った国のイベントをやる予定なので、その中で「日本の祭りってやっぱりいいね」と言わせるだけの何かを私たちはやりたいですよね。
水越: 大分定着してきたけれども、もっともっと日本人に知ってもらいたいよね。
チョーカー: 日本人が増えてしまったために、逆にうまく捉えられない。
水越: 様々な日本人グループがあるけど、ひとつになることがあまり無くなってしまったね。
チョーカー: 日本の人は何も日本人と一緒に群れて繋がらなくたっていいでしょっていう考えの人が多いのよね。ここにきてまで何で日本人とつるまなくてはいけないのか?って思う人もいるし。実際私もそうだったし…。でも日本人の皆が一緒になってカルチャーを提供できたら楽しいし。その辺をどうしたらいいでしょうね?そのあたりをどんどんアイディアを出して欲しいですね。
私たちはここに住んでいるほうが長いので、本当の日本人としての感覚がなくなっているので(笑)。だからこそ、あなたたちの意見を聞きたい。こういう風にやったほうがいいよねとか、日本人だったらこういう風に感じるとか、あなたたちの考え方、あなたたちが感じたことが凄く大切だと思う。
どうやってこの「祭り」を変えるか。昨年の倍の大きさにするとか、あなたたちが考えて動かしていける。これでいいのかしら?ではなく、「これでいい」のね。
私たちがやってきたときもお手本はなかったの。そこを試行錯誤してきた。今はあなたたちの時代。これから今のソサエティに合った形で、こうしたらもっと盛りあがるんじゃないかというアイディアがあるはずだから。それを考えて、それをイメージして発信して欲しい。
それから、ひとところに固まらないでいろんなところにアンテナをはって、いろんな情報を集めたほうがいいですよね。そうすると、この祭りにも当然影響するでしょうし、あなたたちも日本に帰ったときに凄くいいものを持って帰れると思う。そういうことを意識しながら何かすることが私は必要なんじゃないかと思います。
後編へ続く。
The following two tabs change content below.
祭りウェブ 編集チーム
出身地:オーストラリア
【Q: 今何をしてるのか?】A: 祭りのPRを行なっています!【Q: 私にとっての祭りとは?】A: 私たちにとって祭りは日本を好きな人たちが集まる場所。祭りを通して日本をより知ってもらえたら嬉しいです!
最新記事 by 祭りウェブ 編集チーム (全て見る)
- 【メインステージ17:40出演】歌手中嶋晃子さんへインタビューしました! - 08/12/2017
- 日本とオーストラリアの空を繋いで48年!JALシドニー支店の皆様へインタビュー! - 07/12/2017
- 質の高いサービスが特徴の日本人会計士事務所Ezy Tax Solutions代表 賀谷様にインタビュー! - 04/12/2017
COMMENT ON FACEBOOK